道に迷った老人は、山崎製パン創業者の一人だった
今から約20年前のことである。
当時私は横浜市青葉区荏田西に住み、建築資材を扱う会社に勤めていた。
ある夏の暑い土曜日の午前11時過ぎ、昼食を食べに出掛けようと自宅付近の駐車場へ向かった。
その時、一人の高齢男性から声を掛けられた。
振り返ると、その男性は全身汗びっしょりで、顔には疲労の色が濃く表れていた。
「道に迷ってしまって……。最寄り駅はどこでしょうか。」
そして続けて、
「朝早く散歩に出たものだから、一円も持たずに家を出ちゃったんだ。」
と、少し照れたように笑った。
その姿を見て、このまま歩かせたら熱中症になってしまうかもしれないと思った。
私は車で市ヶ尾駅まで送ることにした。
本来であれば江田駅の方が近かったが、車を停めにくかったため、市ヶ尾駅へ向かった。
助手席へ案内すると、その男性はドアの開け方が分からない様子だった。
その時、「普段は運転手付きの車に乗るような方なのだろうか」と感じたことを今でも覚えている。
駅前へ着くと、ヤマザキデイリーストアでキリンの「アミノサプリ」を買い、一緒に飲んでもらった。
さらに、「お金を持っていない」と話していたので2,000円を渡そうとしたが、最初は固辞された。
そこで、どうすれば受け取ってもらえるか考え、セカンドバッグの中にあった名刺を取り出して、
「せめてこれだけでも受け取ってください。」
と渡したところ、名刺を受け取ってくれた。
その流れで、ようやく2,000円も受け取ってもらえた。
その時点では、その方が誰なのか私はまったく知らなかった。
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週明けの月曜日、会社へ一本の電話が入った。
「今、近くまで来ているのですが、道を教えていただけますか。」
運転手の方からだった。
ほどなくして黒塗りのセンチュリーが会社へ到着した。
後部座席から降りてきたのは、土曜日に助けたあの男性だった。
運転手の方と一緒に、抱えきれないほどのヤマザキナビスコのお菓子を持参してくださった。
その品は私が受け取り、営業所の仲間10人で分けた。
そして笑顔でこう話してくださった。
「先日は本当にありがとう。あのアミノサプリを飲ませてもらったおかげで、担当医から『熱中症にならずに済んだね』と言われたよ。」
さらに、土曜日に受け取った2,000円も丁寧に返してくださった。
その後、一時間以上にわたり、さまざまなお話を聞かせてくださった。
そこで初めて、その方が山崎製パン創業者の1人であり、山崎製パンの経営に携わってきた飯島一郎さんであることを知った。
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飯島さんは、とても穏やかな方だった。
俳優の三國連太郎さんによく似た雰囲気があり、話し方は終始柔らかい。
「もうボケちゃって、パーだから。」
と何度も冗談を言っては、自分で笑っていた。
肩書きを感じさせることは一度もなく、飾らない人柄だった。
創業当時の話も聞かせてくださった。
「両国でパン屋を始めた頃は、山崎のパンは甘くておいしいって評判になってね。作っても作っても間に合わないくらい売れたんだ。」
その言葉は今でも印象に残っている。
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私は以前から気になっていたことを尋ねた。
「飯島さんなのに、どうして会社は山崎製パンなんですか。」
すると飯島さんは、
「姉妹の夫が山崎という姓だったので、その名前を使ったんだよ。」
と答えてくださった。
その時、一瞬だけ表情が変わったように感じた。
当時は特に気に留めなかったが、約10年後に山崎製パンの歴史を調べ、創業者一族の内紛を知った。
その時になって私は、「あの時、一瞬言葉を選ばれたように見えたのは、そのような背景もあったのかもしれない」と感じるようになった。
もちろん、これは私自身の受け止め方であり、飯島さんのお気持ちはご本人にしか分からない。
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もう一つ忘れられない話がある。
私はずっと「あの日は散歩中に道に迷った」のだと思っていた。
ところが飯島さんは笑いながら、
「実はあの日は会社の用地を探そうと思って歩いていたんだ。」
と話してくださった。
高齢になっても自ら現地を歩き、会社のことを考えていた姿勢には驚かされた。
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帰り際、飯島さんは会社入口の鉄板スロープで足を滑らせそうになった。
すると、
「ここは危ないから、何か工夫したほうがいいよ。」
と私に声を掛けてくださった。
自分のことではなく、次に訪れる人の安全を気遣う言葉だった。
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後年、知人から「戦後は砂糖の入手が難しかったので、創業時の成功には調達力も関係したのではないか」という話を聞いた。
私自身も後に飯島藤十郎氏が陸軍出身だったことを知ったが、この点については公的資料で確認できた事実ではなく、一つの仮説として受け止めている。
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あの日、私は肩書きを知らず、一人の困っている高齢者として接した。
もし最初から「山崎製パンの幹部だ」と知っていたら、同じように自然に接することはできなかったかもしれない。
20年が過ぎた今でも思う。
人への親切は、相手の肩書きによってするものではない。
飯島一郎さんとの偶然の出会いは、そのことを私に改めて教えてくれた、忘れられない出来事である。
